「私は加害の女」
5年ぶりに『沖縄の骨』を再読した。著者・岡部伊都子を知らない人はおそらくいないだろう。京都弁で話されるが、大阪市の生まれで、今年83歳。結核、そして長く肝炎を患っておられる。その病弱の身体にもかかわらず、彼女は、何回となく沖縄へ足を運ぶ。「私は加害の女」、彼女は自身をこう呼ぶ。
婚約したばかりの木村邦夫氏が軍に招集され、別れのあいさつに訪れた彼が「自分はこの戦争はまちがいだと思っている。こんな戦争で死ぬのはいやだ。天皇陛下のおん為になんか、死ぬのはいやだ」と言った。しかし、著者は「婚約者のいのちがけの言葉が理解できなかった」ゆえに、「私なら、喜んで死ぬけど」と答えた。
分断の「二七度線」
兄がマレーで戦死、そして婚約者は、敗戦間近の沖縄戦で両足を失い、自死した。「みすみす愛する男を殺した」著者は自分の「加害」を責めつつ、1968年まだ米軍施政下の沖縄を訪ねた。1972年、「神戸新聞」に「二七度線」を連載、これを元に新書を出版、これ以降、戦争、環境破壊、差別などをテーマに精力的に執筆活動を続けてきた。「二七度線」と言っても、若い世代には何のことかわからないかもしれない。それは、沖縄と本土をアメリカが分断してきた人為的な境界線である。沖縄の人々も本土の人間も長くここを越えることはできなかった。私もパスポートの発給を拒否された経験がある。
いま日米両政府は、沖縄県民の意思を省みることなく同盟関係の強化を図ろうとしている。こうした流れを見透かすかのように、著者は「日本が、自国憲法に反する日米安全保障条約を一九七二年五月十五日の沖縄『復帰』の際に、きっぱり破棄して、日本は真に独立するべきであった」と喝破している。
佐喜間美術館と愛楽園と
普天間基地の一角に「佐喜間美術館」がある。私も数年前に訪れたが、丸木位里・俊 夫妻の大作「沖縄戦の図」を展示するために、佐喜間道夫氏が米軍から土地を取り戻して私財を注いで建設したものである。著者が身体を支えられながら「沖縄戦の図」の前で講演する姿をNHKTVで見たことがある。折があれば再び訪ねたいところのひとつである。
名護に愛楽園という、ハンセン病患者の施設がある。著者は沖縄に行くたびにここを訪れているという(近著に『ハンセン病とともに』がある)。八重山諸島のひとつ、竹富島には著者が子どもたちのために寄贈した小さな図書館がある。著者は「こぼしさま」と尊敬している子どもたちとの交流を楽しみにされている。
踏みつけられている骨の身になって
チビチリガマに触れて、著者は「せめていままだ生きている骨は、踏みつけられている骨の身になって考える力を持たなければ、未来はないですよ」と、警告している。ガマは今、入り口を塞がれ、ここは亡くなった人々の墓場であり、遺骨を踏まれるのはつらいので立ち入らないようにという遺族の掲示がある。
一昔前の沖縄で、井戸水が燃え、牛の尻尾から音楽が流れるということがあった。少女暴行事件や沖縄国際大学への米軍ヘリの墜落事故も記憶に新しい。沖縄は、いまだ戦後0年である。
(A・T)
岩波書店 1997年4月発行 本体価格2100円
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