精神障害者が地域で生きる

〜神澤 郷子さんの暮らし PART1〜

今回の「地域で生きる」のコーナーにご登場いただくのは、初の女性です。そして精神障害の当事者です。ピアスクール11期生で、前号の感想文集でもご登場いただいた神澤郷子さんです。このインタビューは、2006年2月14日のバレンタインデーに、東住吉区矢田の「精神障害者地域生活支援センター・もくれん」にて行いました。もくれんのスタッフ、川嶋初音さんが同席してくださいました。以下は神澤さんの語りです。 神澤さん画像1




1、 「地域でどっこい生きてます!」


神澤さん&川嶋さん画像
 私の名前は神澤郷子といいます。年齢は39歳、てんびん座のO型です。障害は、精神障害、病名は統合失調症です。主な症状は、幻聴、幻視、思考伝播、関係妄想です。初めて精神科を訪ねたとき、医師から「自分の考えが外に漏れていると思うでしょ」と、言い当てられて驚きました。
 普段は、平日はもくれんに週に2、3回通所しています。もくれんには、各自の興味のあるプログラムを選択でき、私の場合は「絵画・創作」活動をしています。高校時代、漫画研究会だったので、美術の教科書を模写したり、職人芸のような細かな絵を描いています。鉛筆で下書きして、ペンで上からなぞり、水彩絵の具や色鉛筆で仕上げていきます。去年の秋からはもくれんの「プチ・ボランティア」をしています。もくれんは知的・身体・高齢のデイサービスを併設しているんですが、そこの給食時に、厨房からカートを運ぶことを手伝っています。日中特にすることがないと、ダラダラと他の通所者とだべっているだけになりますので。また、不定期にお菓子づくりや、調理もします。お菓子づくりは結構好評で、皆と相談して何を作るか決め、買い物に行き、できたものは作った人達のおやつになります。シュークリーム、マーブルケーキ、コーヒープリンなどなど。和菓子にもチャレンジしましたよ。私の通所日は、月曜と、水曜か金曜、たまに土曜です。土曜の午後のメンバーミーティングでは人の嫌がる書記を引き受けています。ミーティングで「書記やる人!」と立候補者を募ってもなかなか決まらない、その沈黙に3分以上耐えられないんです。(「わかりやすく書いてくれているって評判良いんですよ」〜川嶋さん)。

2、 発病に至る歩み

 幼い頃、私は結構いじめられっ子でした。神経質なのにマイペース。周りと合わせられない。おかげでいじめの対象になりました。ただ、小学生の私は、いじめられていたのにそうは思っていませんでした。中学校ではいじめにすごい反応して学校に行きたくないと思いました。でも母は「誰もが見えない敵と闘っているのよ」と言い、無理矢理通ったことでノイローゼっぽくなり、保健室の先生の勧めで、親子で大阪教育大附属平野小学校にカウンセリングに毎週行きました。府立高校に入り、高校2年の時が一番楽しかったです。友達もクラスにできました。なのに高3で、全然友達のいないクラスに放り込まれ、一人ぼっちになりました。既にグループができてしまっていて、誰にも声をかけられず、話しかけても、「何この子?」って冷たい対応でした。その頃は丸一日学校に居ることは少なく、遅刻か早退を繰り返し、担任に「短大への推薦を出せない」と言われやむなく通いました。私は男子にいじめられることが多く、女子のくせに身なりに構わず、顔にアトピーもあったので、あからさまに拒否されました。早く卒業したかったです。しかし、女子短大では楽しい2年間を過ごしました。英米文学を専攻しました。
卒業後は定職に就かずフリーターをしていました。就職状況が良く沢山の求人が来ていたのですが、「就職して勤め続けられだろうか?」と、要らない心配をしてしまいました。いつでも辞められるアルバイトが良いと、パン屋でのバイトを経て、運送会社の倉庫で6年間バイトしました。運送会社では、同年代の人が多く、あの頃が一番楽しかったです。学校で感じてきた生き辛さもなく、仕事もバリバリできて時給もアップし、周囲から頼りにもされました。今までで一番幸せな日々だったかも? そのバイト先で知り合ったのが今の夫で、初めは気付きませんでしたが、実は高校で同じクラスだったんです。そして、おつきあいするようになって、結婚に至りました。交際期間は3年ぐらいかしら。多分「つきあって!」って私から言ったんです。結婚までとんとん拍子で、双方の親とも仲良くなりました。1992年に結婚しました。
 結婚してからの変化は、夫は実は仕事がとっても忙しい人で、新婚旅行から帰って二週間は定時に帰ってきましたが、そこから毎日1時間ずつ帰りが遅くなってきました。私は日中一人で過ごすことになります。最初はパートに行っていましたが、これまで実家暮らしで家事などしたことがなく、掃除・洗濯・炊事もした上でパートもこなさねばと焦ってしまって、私の許容範囲を徐々に超えてきました。ストレスが溜まっていると自分ではわからず、それを発散するためか買い物にはしりました。パートの給料だけで買い物をしていた段階から徐々にエスカレートしていくことになります。
 パートがきつくなり、ちょうど、不眠とか思考伝播の症状が出てきて、自分でも具合の悪いことになっているかも?と感じ、精神科にかかる方が良いかなと思ったのですが、当時は今のようにクリニックがあちこちにある時代ではなく、ある総合病院の精神科を自分で受診しました。そこで、最初にお話ししたやりとりがありました。「頑張り過ぎたんやね、眠れないために脳が興奮しているから休養して下さい」と医者は言い、たくさんの薬をくれました。帰りしなに実家の母に精神科を受診したことを打ち明けました。


3、 自傷行為、買い物依存に苦しむ

 発症間もなく、夫にマレーシアへの出向の話がきました。3、4年は帰ってこれないということで、不安定な妻を一人置いては行けないと断ってくれました。その代わり、1ヶ月間マレーシアへ出張し、その間、私は実家にいました。ご飯を食べたら寝るという生活でした。その頃の記憶はとんでいます。まだ、旧薬の時代で、副作用がひどく、しんどい、喉が渇く等の症状がありました。通院や服薬は真面目にしていました。うちの親もそうですが、精神病には偏見がありました。親は祈祷師に相談し、親戚がそれで治ったと聞いて、高知県まで連れられ、薬など飲むなと言われました。勝手に薬をやめ、2ヶ月間は調子が良かったのですが、3ヶ月目に『完全自殺マニュアル』という本を興味本位で読み、「リストカットってどんな感じかな?」と軽い気持ちで、夫の帰りを待つ間に安全剃刀で手首を切りました。そう深い傷ではなかったのですが、翌日外来にいき、主治医は「やっちゃったか、入院しような」と言いました。そして総合病院の精神科に1ヶ月入院しました。初めて閉鎖病棟に入りました。リストカットのような自傷行為は初めてで、大量服薬や他の方法は今までとったことがありません。
 入院1ヶ月のうち、最初の3週間は病棟から外に出してもらえず、家族が同伴する時のみ外出が許可されました。6階にある閉鎖病棟には鍵のかかる玄関があり、内外双方から見えないようになっていました。最初入った時はすごい衝撃でした。入院患者にもびっくりしましたが、私自身はこんなものかなと思っていました。でも母は私と別れた後、人目をはばからず号泣したそうです。「何故あの娘がこんなとこに入らなあかんの?」と。そのことは去年の冬に初めて母の口から聞きました。
 一日の内で、一人だけの時間があまりにも長く、薬の副作用もあって、何事にも興味が持てませんでした。好きだった編み物も針を持つ気がしないんです。編み図を見ても、何のことかわかりません。ただ、寝ているだけで一日を過ごしました。それもストレスになり、買い物に向かってしまうのです。買うのは自分の物です。止せばいいのに、デパートの5%引きにつられてクレジットカードを作ってしまいました。おかげでもっと歯止めが効かなくなり、二日と空けずにナンバへ繰り出しました。デパートでカードを出すと「一ヶ月の限度額を越えています」と言われたこともありました。同じブランドの紙袋を5つ6つ抱えていたので、これは絶対買い物依存と思われるわと、2つぐらいを駅のコインロッカーに入れて次のデパートに行きます。単にお金を使いたいだけで、選ばずに手にしたものを即買っちゃいます。試着もしません。店員に「ありがとうございました」と言われて店を一歩出て、ああ、やっちゃった!と後悔します。でも翌々日には必ずまた行っているのです。自分でもあかんってわかっているのにやめられません。家の貯金にも手をつけ、結婚祝いにといただいたお金を全部使ってしまいました。買ったものは買ったまま押入れに隠し、夫の目を逃れようとしました。ある日、夫に5万円以上買わないともらえないプレゼント商品が届き、不審に思った夫から詰問され、白状しました。「これっきりやぞ! 今度やったら離婚するぞ!」と叱られ、私も「二度としません」と言いつつ、繰り返していました。クレジットカードにはハサミを入れましたが、今度は現金です。私が通帳を持っていたので、給料が月末に出ると、翌月の頭には生活費がありません。ボーナスが出ると買い物に行っていました。夫に通帳を見せてと言われ、見せると「こないだのボーナス、10日間で16万、いったい何に使ってん?!」と。毎月のように夫とお金のことでもめていました。今度こそ棄てられると思いました。
 ある夜、夫のいる前で包丁を研いで、手首にあて、今までよりか力を入れてそのままザッと引きました。次の日、主治医の転勤先の病院に行くと、主治医の顔は怒っており、目が三角になっていました。傷が深くて七針縫いました。夫は「これは癖になるから」と注意を受けたようです。家族も医師もがっかりしていました。その時は入院にはなりませんでした。何故だか、縫合してもらったことで、自傷癖はピタッと治まりました。
 私が自傷行為や買い物に走ったりするのは、構ってほしい気持ち、そして、それが叶わないことに対してのあてつけがあったと思います。
 一番しんどい時期は5〜6年間続きました。丁度5年ぐらい前、34歳ぐらいの時期がピークでした。お金の使い過ぎを怒られ、具合が悪くなり入院というパターンで、6回入退院を繰り返しました。閉鎖病棟に入るのは、命が危ない時で、例えば判断力が著しく低下しており、信号が赤でも平気で渡るような時です。入院期間は、生活レベルが落ちないようにと1〜2ヶ月間が多かったです。


4、 精神科の入院体験
神澤さん ファッション披露画像
 6度の入退院を経験しています。エピソードとしては、私のイビキがうるさいと、入院すると必ず言われます。気になって耳鼻科で診てもらいました。器質的には異常なしと。ただ、薬で喉の筋肉が弱って、イビキをかくらしいです。横向けに寝てもらうしかないと言われました。病院は消灯が早く、午後9時服薬、10時消灯です。薬を飲んだら15分で寝ています。早く寝るので、起きるのも朝5時になってしまいます。他の患者さんは消灯になるとスイッチが入る人が多いようでした。病棟は夜間は、ほぼ真っ暗になります。フットライトと廊下の灯りがトイレに行く時に困らぬ程度にあります。デイルームは朝6時から点灯するので、その時間までは自動販売機を使わないように決められています。眠れない時、眠剤の追加はOKだけど、午前2時までしか受け付けてくれません。だから2時半に目が覚めると最悪なんです。と言っても、私は9時半には気絶するように寝ていましたが(笑)。(次号に続く。)




 神澤郷子さんのインタビューは、ご本人の意欲もあり非常に中味の濃いものとなりました。そこで今回と次回の二度に分けて皆さんにお伝えすることとします。
(以上第一回です。次号をお楽しみに!)





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