新連載企画!!

「私にとっての障害受容」〜パート2〜

 特定非営利活動法人 中部障害者解放センター 
自立生活センター・ナビ 小坪 琢平さん
 当事者なら障害があることで一度は悩みしんどい思いを抱えたことがある人は多いと思います。障害受容ができにくい理由は人それぞれですが、何かをきっかけにもっともっと自分を好きになって楽しい人生を送ってもらいたいという願いを込めて『ニュースドリーム』では当事者の方々の障害受容をめぐっての連載をしていきます。第2回目は自立生活センター・ナビの小坪琢平(こつぼ・たくへい)さんです。
プロフィール
小坪琢平(こつぼ・たくへい) 年齢:27歳 障害:脳性マヒ

特定非営利活動法人 中部障害者解放センター 

自立生活センター・ナビ ピアカウンセラー

 小・中学校は高槻市の普通学校に通うが、高校は茨木養護学校高等部へ進学。同校卒業後、大阪市更生療育センターへ1年間入所し、入所中にピア大阪で行なっている「第4期ピアスクール」を受講。退所後、大阪市障害者職業能力開発校「POP(ポップ)デザイン科」へ入校。
 一般企業への就職を目標に就職活動を始めるが、行なっていく中で就職する事の難しさ等を実感する。そこで以前から現在の仕事(自立支援)に興味を持っていたのでいろいろな勉強会へ参加。今年でナビに入って7年目になる。仕事をしていく中で自分も自立生活を始める。趣味は、音楽鑑賞など。とりわけ音楽が好きなのでいろんな路上ライブやライブハウスに顔を出している。

たくさんの人と関わる事で出来てきた障害受容!
〜新たに見つけた喜び〜
 障害受容と言われても、先天性で脳性マヒの障害を持っているので、はっきりとこの時点で受容できたというポイントのようなものは考えにくいのですが、障害を意識して、受容し、今思う事などを自分なりにまとめていきます。画像:笑顔の小坪さん
 初めて自分が周りと違うと感じたのは幼稚園の頃くらいですかね。初めは、いつかは自分が「歩けるようになる!(障害が治る)」ものだと思っていました。親や周りも訓練(リハビリ)をして、少しでも自分で出来ることを増やし、やがては少しでも歩けるようになって欲しいと思っていたと思います。実際に小学校4年生の時には身体障害児施設で1年間の訓練入院をした経験もあり、その結果太ももから下の装具を着け、クラッチ歩行が出来るようにはなりました。けれども、その歩行が出来る状態を維持するには、いろんな事を犠牲にしてリハビリだけに励む必要があると自分で自覚していたので、全てを犠牲にしてしまわなければならないなら歩けなくても構わないと思い、そこから車いす生活が始まりました。次に障害を意識したのは中学校に入ってからです。 

 小学生の時は、学校生活でそんなに自分の障害を意識した事はなかったように思うけれど、中学生になると障害があるから出来ないという場面に直面する事が多くありました。その他にも自分の学年に障害者が僕一人しかおらず、学年全体から障害があるという事だけで常に注目される状態が3年続きました。そんな事もあり中学時代は障害がある自分が嫌だと本当に思っていました。
 
 その後は養護学校に進み、それまでの学年で 障害者が一人という状況から一転、障害者しか周りにいない環境になり逆にそこで障害者が自分一人でない事や、障害を持っているというだけで注目されない事に妙に安心感を感じました。余談ですが生徒の人数に対し先生の数が多い事にやたらとビックリしました(苦笑)。変に注目されない安心感はありましたが、学校生活は全く面白くなかったですね。そんな時にタイミング良く学校のクラブに軽音楽部が出来てクラブに打ち込みました。結局、学校を卒業した後は、大阪市更生療育センターに1年間入所しました。そこの施設は中途障害の年配の方が多かったので人間関係に悩むことも多かったです。それと同時に、友達は卒業後、職業能力開発校に行ったのに「何で自分は施設におるんやろ??」結局は「障害程度によって行き先が決(き)まるのか!?」と落ち込んだりもしました。
 
 ちょうどその時、ピア大阪のピアスクール受講生募集のチラシをみつけ、何か自分を変えたいと思い電話して申込みをしました。ピアスクールを受けて視野や考え方が広がりました。ピアスクールを受けなければ自立生活センターの存在を知ることも興味を持つこともなかったんじゃないかと思いますが、本格的に興味を持つのはもう少し後になります。更生療育センターを1年で退所し、大阪障害者職業能力開発校に進み一般就職を目指して勉強しました。夏になり、就職活動をしていく中で就職の難しさや社会の現実を痛感しました。毎回、「どうやって通勤するのか?」と聞かれ「電動で通勤する」と言っても「危ないから無理」と話を聞いてもらえませんでした。そこで「電動で通うと言っても説得力に欠けるのか」と思い、苦労をして車の免許を取るも結果は同じ。その時に、思い悩んで友人に相談したんです。そしたら友人が「できそうな仕事を選ぶのではなく、やりたい事をやった方がいい」とアドバイスをくれたので、やりたい事は何かと探した時に、どうせなら障害を生かせる仕事がしたいと思い、自立生活センターに再度興味を持ち、現在に至るというのが経過でしょうか。

 障害がある自分が好きかと聞かれると、生まれつきなので障害のある自分しか知らないから何とも言いにくいけど嫌いじゃないというのが正直な感想かもしれません。最近では、段々自分の障害が気にならなくなってきました。というのも障害がある自分だから出来る事を仕事以外にも見つけられた事が大きいと思います。最後にその事を書いて終わりたいと思います。
 
 僕の趣味は音楽を聴く事・演奏する事です。4年前に梅田であるインディーズバンドのストリートライブを偶然見て、気に入りそのバンドのストリートライブに毎回行くようになりました。長く行っていると、自然と話す機会も増え、「歩道橋にはどうやって上がってくるのか」「どこに地下に降りるエレベーターがあるのか」等を聞かれるようになりました。その都度説明をし、一緒に行動する中でいろんな事をバンドのメンバーや仲良くなったお客さん達に知ってもらえるようになりました。しばらく時間が経ち、そのバンドが初ワンマンライブをライブハウスで行うと聞き、行きたいと思いましたが、そのライブハウスには階段があるようだったので、躊躇しました。するとメンバーが「自分達が手伝うので是非来て欲しい」と言ってくれたので思い切って行きました。実際に行ってみるとライブハウスのスタッフやメンバー・お客さん達が快く手伝ってくれたので思いっきり楽しむ事が出来ました。元々音楽好きなのとライブハウス画像:ギターを弾いている小坪さんの雰囲気が好きなので、今でも大阪や神戸・京都・名古屋などいろんなバンドを見にライブハウスへ行きます。エレベーターがある所は少ないので階段をその都度いろんな人たちに手伝ってもらい移動します。初めて行くとライブハウス側もお客さんも「電動車いすの人もライブハウスに来るのか!?」という感じで驚きの目をされます。その視線が凄く印象的ですが、僕は結構好きです(笑)。まあ客観的に考(かんが)えれば、今まで周りに障害がある人がいなくて、ライブハウスに行った時に偶然見かけたらビックリするかもしれませんね。でも、周りが自然に手伝っているのを見て手伝ってくれる人も多いです。4年追っかけをしているバンドのメンバーさんやファンの人・行き慣れたライブハウス等はこちらがビックリするくらい手際よく手伝ってくれたりします。

  一番初めは音楽が気に入り立ち止まっただけなのに、だんだんと人間関係が広がり、今まで全く関わりのなかった人達が、自分が一緒に行動する事で、いろんな事に気づき、感じて自然に手伝ってもらえたりすると心が温まります。それと同時に、自分が好きで始めた事が、結果的に多くの人の意識を変え、大げさに言えば社会を変えるための活動のひとつになったと言えると自負しています。そういう事に気づかせてもらえた事に喜びを感じる今日この頃です。


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